反日問題、早く解決してほしい
包 亜蘭(ホウ アラン)さん(地域福祉学科1年)
日本に来て2年、地域福祉学科1年の中国人留学生、包亜蘭(ホウアラン)さん。3ヵ月たった今の心境は「日本語もまだわからなくて、勉強が大変。なかなかサークルやボランティアに参加する時間が作れない」。
そんな亜蘭さんの、日本への留学の動機は「日本にいる先輩といろいろ交流があり、高校の時に日本語を習い、住んでみたいと思いました」。来日の直後、内モンゴル出身の亜蘭さんは「交通機関がすごく便利で、生まれて初めて海を見た。地球って本当に丸くて広いなぁと感じ、空がすぐそばにいるみたいに感じました」とも。
中国と言えば、問題の反日運動についてはどう思っているのか?
「私は反日運動のはっきりした理由がわからないです。昔のことを理由にしては、今の人たちがかわいそうだと思います。でももし日本人が中国人の立場であったら、日本人の人たちもそうなるのではないかと思います。やっぱり反日問題は、早く解決してほしい。平和が一番です」
この大学では、社会福祉士の受験資格を取りたいと考えている。子供のころから「福祉」に関心を持っていた。日本に来て行ったボランティアが老人ホームであったことも、大きいという。
「中国と比べて、日本の老人ホームの方が設備が良く、個人の人権を尊重し、個々のニーズに合わせた援助を行なっていることが素晴らしい。卒業して国に帰ったら、自分もそんな風に高齢者に接することができたらいいなと思います」
忙しい学校生活の中、日本人の友達も少しずつ増え、授業も楽しく充実した生活を送っている。いろいろな国の言葉をマスターして、「あちこちの国へ行ってみたい。この大学生活では、目標を決めて、やりたい事をやっていきたい」。
(大高亜月)
【第5号 2005年07月22日】
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一人ひとりができること考えて
チャリット・ペレーラ君(スリランカ)
「スリランカでは津波の存在を誰も知らなかった。そんな言葉すらなかった」。昨年12月に起こったスマトラ沖大地震による津波の被害は、安全対策の未熟さによるところが大きかった。
人間社会学科2年、来日して4年目。現在25歳になる。コロンボにある実家は無事だったが、友人やその身内が被害にあったという。
大学では日本文化や国際事情を学び、スリランカの日系企業の通訳を目指す。日本語に加え英語も堪能だが、「来日した時はほとんど日本語が話せず不安だった」という。そのため日本語学校ではスリランカ出身者や英語の先生と積極的に交流。日本についての知識を身につけた。
現在では県の「ふじのくに親善大使」に応募、静岡とスリランカをつなぐ架け橋となっている。主な活動内容は市内の学校を訪問して自国文化についての紹介。始めはスリランカがどこにあるのかも知らない人が多いことに少し戸惑ったという。
被災地へ送る義援金の募金活動にも励んでいる。1月10日にはグランシップホールで、その後も学内ホールで募金の呼びかけを行った。活動を通して人の温かさを感じた反面、「日本にいてできることはそれくらいしかない。もちろん被災地は心配だけど、帰国しても自分にできることは何も無い」とジレンマを感じている。
地震発生から4ヶ月。津波の被害にあったのはスリランカの経済を支えている観光地だっただけに、復興までにはかなりの時間がかかる。「安全対策や援助を政府に任せきりでは駄目。一人ひとりがどうすればいいのかを考え続けてほしい」。
(鈴木淳博)
【第4号 2005年04月05日】
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単氷さん(中国)
人間社会学科の三年生で、経済・経営学を中心に勉強している。来日して四年の二十六歳だ。仕送りはなく、週末深夜のコンビニのアルバイトで生活を支えている。
来日の目的は、「大学生を続けたかったから」。中国でも大学に通っていたが、親の強制で学んだ科目、経済法に興味が持てず中退した。
静岡では、バイト探しや道探しで困ったという。全く言葉がわからなかった。「日本語は、学校よりもバイト先の職場で学んだ。言葉を学ぶ上で、コミュニケーションは大事だね」と、二年間の日本語学校での成果を発揮して語る。
日本人学生との交流の少なさを、日々の学園生活で痛感している。「日本人と留学生の間に壁があり、お互いの世界に入ろうとしない」。
中国には現在、一人っ子政策、貧困、環境悪化などの難題がある。
失敗したとしても「経験すること」は、自分の人生を変える力を持っている。人間同士のつながりを大切にしながら、数多くの経験を重ねることが大事だという。
「まだ将来のことは決めていない。日本で就職したいと思ってはいるが……」
(石田恵理・西田真由子)
【第2号 2004年07月07日】
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グエン・ティ・ハイ・ハーさん(ベトナム)
現在、静岡英和学院大学には短期大学を含め、五十三人の留学生が在籍している。出身国は、中国が四十人と圧倒的に多く、ベトナムとインドネシアが四人、スリランカ三人、韓国と台湾が一人である。
グエン・ティ・ハイ・ハーさんはベトナム出身の三十歳。昨年短期大学から編入し、現在は人間社会学科の四年生で、主に心理学を勉強している。来日して五年。一年間ベトナムで日本語学校に通い、日本語により興味を持った。「外国語はその土地で勉強したほうがいい」と日本への留学を決めた。
留学先に静岡を選んだ理由は「日本語学校の女性が留学できるのは、(提携先の語学学校がある)静岡だけだったから」とか。
日本に来て驚いたことは、床に直接布団を敷いて寝ること。食べ物では生ものが食べられなかった。物価が高いことには今でも苦労させられている。学費、生活費はすべて自分で働いて賄っている。アルバイトは、コンビニとスーパーマーケットのレジ。「時給はそれほど高くはないが、人間関係や文化の違いを勉強できるよい場となっている」
「優しく親切な人がたくさんいて、キャンパスが狭いから人と接する機会が多く持てる」と本学についての印象を語る。
行動することで常に新たな目標を持ち続ける。日本の大学院に進学して「将来はベトナムに帰って心理学を教えたい」と、意欲を燃やしている。
(日吉志奈子・畔柳環)
【創刊号 2004年04月07日】
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