「まずはやってみること!」
人間社会学科 遠藤明子講師(経営・マーケティング)
「英和の学生さんは“のびしろ”がいっぱい」
そう語るのは、人間社会学科の遠藤明子先生である。「素直な子ばかりなので、伸びる余地がいっぱいあると思う」。
東京での学生時代は、体育会系のクラブ活動に熱中していた。
「小学校は空手、中学校はバスケ、高校ではチアリーディングとジャズダンスをやっていました」
大学には、第一志望に失敗した失望感を抱えたまま入学。
「入ってみると、受験失敗組がけっこういて。その人たちが自堕落な生活を送っているのを見て、私はこうはならない、と思って、勉強をとにかく頑張りましたね」
大学外にもアンテナを張った。他大学などで行われるシンポジウムや講演会を探しては、一人で参加し続けた。
その後、神戸大大学院に進学。専攻を法学から経営学に変えた。これまでの研究テーマは、日本のアパレル業界を対象にした、ビジネスモデルの分析である。
「要するに利益の上がる仕組みですね。それを、アパレル企業を対象に調べていました」
趣味は音楽や料理などのオーソドックスなものから、電車の経路図を見ることや、ミニチュアといった変わりダネまで、実にバラエティー豊か。ただ最近は趣味に費やす時間を取れていないのが残念とのこと。
「色々なものに興味があり、一通りかじってきたので、私は自然と自分の道が見えてきました。学生さんも、最初から頭でっかちにならずに、まずは試してみてほしい。すると、自分の好き嫌いがはっきりしてきて、将来への曖昧(あいまい)な不安が減ってくると思います」
学生に間違えられるような、小柄で清楚な外見と、ユーモラスな人柄のギャップがすてきな、遠藤先生でした。
(渡邉綾那) 【第5号 2005年07月22日】
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「東海地震、あてたい」
現代コミュニケーション学科 高橋清高教授(国文学・人生学)
「ひとにあたたかく、自分にあたたかく。そうしていれば自然に友達もできる」
短大部現代コミュニケーション学科の高橋清隆先生は、学生たちに「自分の人生を自分でつくる」ようになって欲しいと語る。
「そのために生まれてきたんだから。何を目指しても間違いじゃない。ヘタでも、自分で楽しい日常をつくることが大事」
出身は青森県八戸市。文学や文章が好きで、学生時代は勉強と創作活動に打ち込んだ。「フォークブームだったから、仲間で作詞作曲して、テープに吹き込んだりしていた。150曲くらいある。今でも詩はとってある」。
大学院を出てから、英和女学院短期大学へ赴任し、21年になる。
「当時の学生は意欲もあって、学力レベルも高かった。4年制になってからは、楓祭がすごく変わった。自主的だし、にぎやか。今では、共学になって本当に良かったと思う」
日々のライフワークは、学生時代からテーマにしている万葉集の研究。その傍ら、雲や自然現象による地震の予知もしている。
「万葉集を本腰入れてやり始めたのは40歳くらいからで、いずれ本にまとめたい。地震の方は、阪神大震災以来調べ始めた。前兆のない地震はないし、規模が大きいほど前から表われるもの。東海地震が来るときは当てたいと思っている」
大学の講義は、ただ受けるだけでは意味がないと指摘する。
「先生の話を聞いただけで、身についたと安心していてはだめ。それをきっかけに学んでいった方がいい。それも、自分の人生をつくる一環なんだから」
(中村玲子) 【第4号 2005年04月05日】
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「社交ダンスはかなりの腕前だったよ!」
人間社会学部長 志田直正教授
社会学の志田先生は、富士市出身。三島や静岡で少年時代を過ごし、大学から大学院は仙台の学校へ通った。
「文学部の社会学科で学んでいたんだけど東北の冬は寒くて‥。就職する段になったら真っ先に静岡に帰ってきた。服装や対人関係は変わったろうけど、学生は昔も今も変わらないと思う。部活に打ち込んでいるのもいれば勉強熱心なのもいたし。僕は、社交ダンスはかなりの腕前だった!自称だけどね。落語も好きだった。今はもうダンスはやらないけど、寄席はたまには行く。」
ちなみに今の趣味は、毎朝欠かさず行く愛犬ルビーちゃんの散歩。「手間がかかるんだけど可愛くてね」と顔をほころばす。
英和で初めて講師を務めたのは昭和45年ころのこと。現在の英和学生については、もう少し積極性を持ってほしいと考えている。
「英和の学生はおとなしいし、礼儀正しいと思う。ただ、ここに限らず今の学生に総じて言えることは、少し消極的だということ。やはり自分なりのカラーや目標を持って何かに打ち込んで、4年間終えたあと『これをやったんだ』と言えるものをつくってほしいと思う」
志田家は、親子3代で社会学を専門する学者一家。専攻分野は違っても、意見の違いから、影響をうけることがあるという。社会学の魅力と、これからの役割はなんだろうか。
「地域社会学を専攻した立場からいうと、昔の人は、ムラの窮屈なしきたりやならわしを嫌って都会にあこがれたわけでしょう。でもその生活に満足したのかといえばそうではない。これからの時代は、国際化や情報化が進んでボーダレスとかグローバルな社会になっていくだろうけれど、人が結局、生活のよりどころにするのは住んでいるところ。だから外へ目を向けるのと同じように、周囲の身近な生活にも関心を払うべきだと思う」
社会学というのは『人間』を学ぶ学問。
「人間にとっての社会を復活させるのは、物を媒介としないパーソナルな人間関係。一人ひとりが個性を発揮できる『主体性をもった魅力のある地域』をつくり上げるために活かせるならば、そこに地域社会学を学ぶ意義はあるんじゃないかな」
(中村玲子)
【第3号 2004年12月16日】
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広瀬良一教授()
(鈴木淳博)
【第2号 2004年07月07日】
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地域福祉学科 大島道子助教授(児童福祉論・NPO論)
「仕事に就く女性が少なかった時代に女学校の教師であった母の影響を受け、自立した女性の生き方を模索し、大学では社会福祉学と法学を専攻しました」
大きな時代のうねりの中にあった学生時代。仲間同士で日本の社会のあり方について議論を戦わせることが常だった。「飲み会や友だちの下宿などで、人が集まれば議論。終電が普通でした」。旅行も楽しんだ。東京から沖縄まで、汽車と船を乗り継いで旅したことも。「貧乏だったが、手間暇かけた楽しさがあった」と懐かしそうに話す。
ボランティア活動にものめり込み、非行や心に問題をもつ子どもたちとの交流を通じて、自らの人生についても考えさせられることが多かったという。その経験が後にNPOでフリースクールを立ち上げるきっかけに。「生涯の友だちができたのも、この活動のおかげです」。
今の学生を、どう思っているのだろうか。
「豊かで便利な世の中で、情報量が多く、一見自由に見えるが、ハングリー精神が少し足りないような気がしますね。大学時代は時間をたっぷりかけて何かに打ち込んだり、友だちとの交流を通じて信頼関係を結べる好機。何事に対しても意欲的に取り組んでほしい」
(持田浩隆・畔柳環)
【創刊号 2005年04月07日】
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