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戦争体験者たちの声

「兵隊ごっこ」の軍人たち

小長谷実さん(77)

 静岡が大空襲にあった当時、17歳だった私は、国鉄の技術職員として静岡駅で働いていました。そこでは空襲警報が鳴ると、それまで走っていた機関車は線路の途中で止まり、客車を切り離して先頭車両だけがトンネルに隠れるということをしていました。だれも乗っていないということを装うためです。でも客車の中にいる人は、身動きがとれず怖い思いをしました。

 警報が鳴ると防空壕に避難しました。そこには大勢の市民に混じって軍人もいました。やがて地上の炎の熱で、中も異常なほど暑くなりました。そこでその軍人は、「入り口にいる者は外へ出て火を消せ!」と大声で怒鳴りました。いまいましい思い出です。そのころの軍人は銃剣の代わりに竹ざお、靴はぞうりを履いていました。まるで子どもの兵隊ごっこです。それほど日本は追い込まれた状況でした。

 空襲がおさまり、上司の家へ救助活動をしに行きました。全身水ぶくれの奥さんを大八車に乗せて、日赤病院まで連れて行きました。彼女はその間、ずっと悲鳴を上げ続けていました。でこぼこ道で車が揺れ、その度に水ぶくれが潰れていたからです。病院に到着後、しばらくして彼女は亡くなったと聞きました。

(静岡市葵区在住)


空は怖くて見られなかった

桑原政江さん(72)

 終戦1年前になると、警戒警報は一日おき、空襲警報は一週間に2回ほど鳴っていました。警報が鳴ると学校は休みになり、家に帰らされていました。警報解除になると再び学校へ行くという毎日でした。

 食べ物や衣服も不足していました。配給切符はあっても食べ物が無い状態なのです。

 でも本当に戦争が怖いものだと感じたのは、静岡大空襲の時でした。空襲になると、父と兄とは別れて避難しました。男たちは避難せず、周りの火を消すようにいわれていました。

 空は怖くて見られませんでした。いつ爆弾が落ちてくるのか分からない状況だったからです。辺りはどこも炎に包まれ、逃げる道もふさがれていました。

 駿府公園の外堀で布団をかぶって火の粉から身を守りました。爆撃が収まったと思い、布団をあけると熱風が襲ってきました。母親はそれで火傷を負いました。

 空襲後、呉服町や七間町には丸焼けになった死体が多くありました。でも人々は死体の処理どころではなく、しばらくほったらかしにされていました。

 実際の弾の打ち合いではなかったけれど、巻き込まれた人々が大勢いました。その意味では、静岡も戦場になってしまったと言えます。

(静岡市葵区在住)


ひどかった朝鮮人の扱い

鈴木孝子さん(77)

 私は静岡の学校に通っていましたが、学徒勤労動員で沼津の麻糸工場で働かされました。そこで糸をつむぐ仕事をしていましたが、その時は何のためにやらされているのか、教えてはもらえません。あとになってから、その麻糸が布になって大砲をかぶせるシートや兵隊の夏服に使われていたことを知りました。静岡が空襲にあった時も、教えてはもらえませんでした。

 なによりもひどかったのはそこで働いている朝鮮人の扱いでした。私たちは、朝7時から夜9時までの交代制で働いていましたが、彼らは深夜労働、それも作業服も与えられずに危険な作業場で働かされていました。事故で命を落とす人もいました。私たちは朝鮮人労働者のいるところには、行ってはいけないと言われていました。

 沼津も空襲にあいました。狭い面積にたくさんの爆弾が落ちたので、被害もかなり大きかったです。私たち生徒は、事前に沼津に空襲があるという知らせがあり、動員解除となったため難を逃れました。その時も朝鮮人は置き去りで、私たちだけ先生に連れられて逃げ出しました。

 逃げる途中、真っ赤に燃える沼津の街を見たことを、今でもおぼえています。

(静岡市葵区在住)

用語解説

学徒勤労動員

日中全面戦争に突入すると、工場や農村の労働力不足を補うため、学生・生徒が軍需生産や食料増産などに駆り出された。1938年に集団勤労作業を教育に取り入れ、翌年には木炭不足解決の手段として「木炭勤労報国運動」が行われた。次第に「食糧増産運動」などにも子どもたちが動員されるようになった。労働力としての子どもの役割が、学校ぐるみで求められるようになっていた。

 アジア太平洋戦争になると、その傾向はさらに強まる。1944年1月「勤労即教育」の方針が打ち出され、学校の機能を停止させた。2月には中等学校以上の生徒は、常時勤労動員されることとなった。また、学校の校舎も必要に応じて軍需工場や車用倉庫などに転用されることになった。その結果、中等学校以下の授業は停止、通年動員体制となった。国民学校の「学校の工場化」も促進され、学校そのものが解体された。

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